◯ビートストリートガイド


ビートストリートガイド > 浅草国際通りHistory

戦前から高度成長期にかけて、松竹歌劇団(SKD)や美空ひばりの公演をはじめとする最先端のエンターテインメントが集結し連日大賑わいを見せていた“東洋一の五千人劇場”浅草国際劇場。「浅草国際通り」(別名「ビートストリート」)は、そんなかつての浅草のランドマークの目前にあったことから、その名前がつけられました。

1937(昭和12年7月3日)

国際劇場が開場、杮落としは松竹少女歌劇団披露興行。


1945(昭和20年3月10日)

東京大空襲により国際劇場の一部が罹災。その後再建される。


1947(昭和22年)

国際劇場が営業を再開。


1937

1937


1950(昭和25年)

国際劇場の巨大さと舞台機構を活かした演出法による松竹レビューが定着し、観光バスが大挙して訪れる浅草の新名所となった。


1950


1954(昭和29年)

仁丹塔が再建され、国際通りのシンボルの一つになる。


1957(昭和32年)

国際劇場が265万人の観客動員を記録した。


1982(昭和57年4月5日)

松竹歌劇団公演・第五十一回「東京踊り」をもって国際劇場が閉鎖。


1983(昭和58年)

「浅草国際通り商店街連合会」が誕生。


1954
※写真1


1985(昭和60年)

浅草国際劇場跡地に、浅草ビューホテル開業。


1985


1998(平成10年)

ホテルサンルート浅草開業。


1998


2000(平成12年)

2軒の和太鼓店と1軒のドラムショップがあることから「ビート」(BEAT:Best Entaertainment Authentic Town )とし、「ビートストリート」の愛称がつけられた。また、仁丹塔が解体された。


2000
※写真2


2005(平成17年8月24日)

「つくばエクスプレス」が開業。国際通りに浅草駅が誕生する。


2009(平成21年3月)

東京都の助成による「街並み統一街路整備事業」が完成


Today

年々増えている外国からの観光客に向け、また、浅草回遊の魅力を創出するためおもてなしサービスの充実を図っている。


2020

東京オリンピック開催


2005


※写真1、2/台東区立中央図書館所蔵 撮影:髙相嘉男氏